嵐 活動終了を発表 嵐の今までを振り返る~嵐の原点 Jr.時代を支えた5人の若者たち~

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嵐 活動終了を発表 嵐の今までを振り返る~嵐の原点 Jr.時代を支えた5人の若者たち~

国民的アイドルグループ

「国民的」とはまさに彼らを表す言葉といっても過言ではない、言わずと知れたアイドルグループ嵐が

2026年春ころに行われる予定のコンサートをもって活動終了を発表しました

そしてファンクラブも2026年5月いっぱいで終了も併せて報告がありました。

2025年5月6日に更新されたX(旧Twitter)でのポストはこちらです。

かすみ
かすみ

私も30代に突入しましたが、小学生の頃に友達の影響で好きになってからもう20年が経とうとしています。メンカラは緑推しでした(´;ω;`)♡

これまでの嵐の歩みを紹介するとともに、私一個人としての感謝を綴りたいと思います。

嵐とは

嵐(ARASHI) 1999年結成

相葉雅紀・松本潤・二宮和也・大野智・櫻井翔の5人によるアイドルグループ

グループ名の嵐の由来は「世界中に嵐を巻き起こす」という意味や、五十音順とアルファベット順で「あ」「A」と1番最初に来ることから「頂点に立つ」という意味がありました。

ハワイで嵐結成が発表されましたが、メンバーの多くはギリギリまで結成を知らされていなかったという話は有名ですね。

メンバーの大野さんは、辞めるつもりでいたところを当時の社長ジャニーさんに呼び戻され、説得されたというエピソードや、「この5人じゃなければ嵐じゃなかった」というエピソードも逸話です。

5人のJr.時代の活動

大野智(94年10月16日入所)ダンスや歌の実力はJr.時代から非常に高く、振付やバックダンサーとして活躍。1/fゆらぎの歌声の持ち主。表舞台よりも裏方や舞台志向が強く、ジャニーズを辞める寸前に嵐結成の話が来た。
櫻井翔(95年10月22日入所)慶應義塾中等部に在学中に入所。勉学との両立が話題に。ダンスや歌に加え、知性と誠実さが評価されていた。Jr.時代からラップを書いており、後の「嵐のラップ担当」の原点に。
松本潤(96年5月17日入所)入所すぐに注目を集め、「Jr.四天王」の一人として活躍。バラエティ、ドラマとオールマイティに活躍。ジュニアの中でファン人気が非常に高かった。
二宮和也(96年6月19日入所)演技力がずば抜けており、Jr.時代から舞台やドラマで主演級の経験を積んできた。嵐結成時は、アメリカ留学の話もあったがキャンセルして嵐に参加した。
相葉雅紀(96年8月15日入所)明るく素直なキャラクターが愛され、Jr.黄金期の番組や舞台に数多く出演。ジャニーズ志望のきっかけは「SMAPと一緒にバスケがしたい」だった。

【1994年】

大野智がジャニーズ事務所に入所(10月16日)

 大野は主に舞台出演が中心で、当時からダンスの実力があり、「大野の後ろで大野を見て踊れ」と評価されるほど。

 光GENJIや少年隊のバックを務め、東山紀之からは、忍耐強さ・歌とダンス・芸術性の才能を称賛された。

【1995年】

櫻井翔が入所(10月22日)

 学業との両立をしながらJr.活動を開始。

 TOKIOやSMAPのバックなどに出演し始める

【1996年】

松本潤(5月17日)、二宮和也(6月19日)、相葉雅紀(8月15日)が相次いで入所

 少年隊主演舞台「PLAYZONE」や「KYO TO KYO」に複数メンバーが参加。

 松本潤はすぐに頭角を現し、ドラマ出演も。

ユニット:MAIN(松本・相葉・二宮)

【1997年】

5人とも徐々にJr.番組(愛LOVEジュニア、8時だJ)に出演

松本潤、二宮和也は「Jr.四天王」として人気絶頂。

相葉雅紀もフレッシュさと天然キャラで人気に。

ユニット:ミラクル3(相葉・生田斗真・風間俊介)

この年から櫻井がラップの作詞を開始。

【1998年】

Jr.黄金期のピークでメディア露出が急増。

 8時だJ、少年俱楽部(前身番組)などに出演

 二宮和也が「天城越え」でドラマ初主演し、演技力が注目され始める。

【1999年前半】

それぞれソロ活動やユニット活動、バックダンサー、舞台などで活躍

・帰国後「これってデビューってこと?」と困惑したという伝説の天然ぶり。

大野智は退所を考えており、ジャニー喜多川により呼び戻される。

【1999年9月】

嵐、ハワイで結成&デビュー発表

嵐 結成前夜

嵐結成前夜、夢を追う少年たちが突然運命に巻き込まれていくような、まるでドラマのような実話がありました。当時の5人の視点や裏話を紹介します。

【嵐結成発表までの流れ】

・1999年9月初旬ごろ、5人に突如「ハワイに行くからパスポートを取って」と伝えられる

ほとんどのメンバーは仕事だろうなくらいの感覚。正式なデビューの話はハワイ行きの前日か当日に知らされたという話も。(当時は事務所が情報を直前まで伏せるのが通例だった。)

9月15日、ハワイ・ホノルル沖の船上で記者会見。

「We are ARASHI」と叫び、グループ名とデビューを発表。

それと同時にファン向けに「嵐JET」(ANAの特別塗装機)も公開され、話題に。

【メンバーそれぞれの結成前夜の心境】

◇大野智

・本人は引退しようと思っていた時期で、Jr.卒業を事務所に直談判していた。

社長に呼び出されて、「最後にこれだけ」と言われて、なぜかハワイへ。

◇櫻井翔

・慶應義塾高校に通っていたため、学業との両立に葛藤。

・「このメンバーならやれるかもしれない」と感じ、やるなら本気で、と決意。

・のちに「嵐という名前がダサいと思った(笑)」とぶっちゃけたのも有名。

◇松本潤

・もともとジュニア内でも目立つ存在だったが、当初はメンバー構成に驚いたという

・「この5人で何ができるのか」と戸惑いながらもハワイの空のもとで覚悟を決めた。

◇二宮和也

・当初「なんで俺が?」と内心かなりの抵抗感

・ドラマなど個人の仕事が順調で、グループ活動に消極的だった。

・でも「やると決まったらやる。プロとして」と腹を括る。

◇相葉雅紀

・「デビューってすごいことだよね!」と唯一テンション高めだったメンバー。

・家族や友達にすぐ報告したら、「信じてもらえなかった」と語っている。

おわりに

いろんな思いを抱えて今まで突き進んできてくれた嵐のメンバー。私はこの動画を見ると原点に立ち返れるような、青春を一瞬で思い出せるようなそんな気持ちになります。

5人の少年が運命に導かれ、嵐として歩み始めた結成前夜。

不安や戸惑いもあった中で、彼らはそれぞれの思いを胸に、新しい世界へ踏み出しました。

それから25年間、今となっては当たり前のように感じていた嵐という存在が、実はたくさんの奇跡の積み重ねだったこと。

あの夜の決意が、20年以上も続く絆になっていたことに、ただただ感謝です。

彼らがいたJr.時代、夢を追うその背中を、これからも心に刻んでいきます。

私たちファンは、なにがあっても彼らの物語を追い続けてきました。

発表があった際の「活動終了」という言葉選びは、今まで私たちにくれた優しさを象徴するようなワードセンスだったと思います。

最初こそ乗り気ではなかったかもしれない嵐としての活動が、こんなにもたくさんの人の心を動かせたのは、紛れもなく5人の努力の結晶です。

いつも私たちをたいせつにしてくれた。本当にありがとう。

これからも、彼らがくれた思い出を大切に、少しづつ振り返っていきたい。

これからも彼らの足跡を一緒にたどっていきましょうね

そう思いながら、きょうはここまで。

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